対照的なものたち

『一生は、私にはいつも地下茎によって生きている植物のように思われたのである。その本当の生命は地下茎の中に隠れていて見えない。地上に見える部分が一夏だけ生き続けるに過ぎない。かくて、それは、衰えていくつかのまの現れなのである。

 いのちと文明との果てしない興亡を考えるとき、我々は全くつまらないことという印象をうける。けれども永遠の推移の下に生き、持ち耐えている何かについての感覚を私は決して失ってはいなかった。我々が見ているのは花であり、それは過ぎ去る。しかし根は変わらない。』(ユング自伝より)

 

 この精神世界の本と同時に読んでいるのが『アメリカ後の世界』(ファリード・ザカリア著)。このギャップが面白い。どっぷり内的な精神世界から、一気に国際ジャーナリズムの世界へと切り替える。

 僕のiPhoneには、いつも将棋のライブ中継が流され、iPadには通貨の1・5分足グラフが表示されている。これらのまるで対照的な関係が面白い。

 

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